最近よく耳にする言葉に「おもてなし」があります。
この「おもてなし」と似たものに「サービス(奉仕する・仕える)」があります。これは主従関係が明確で、「いつでも、どこでも、誰にでも」と万人が対象となり、サービスに対しての対価が発生する行為となります。
これに対し「おもてなし」は、「この時、この場所、この人のために」と、個別に思いやりを持ってもてなす対価を求めない自発的行為となります。思いやりは「思い」なので、目に見えるものではありません。もてなす側(ここでは神職者や僧侶)の「心のあり方や表現」となるわけです。
この精神は、そもそも神道・仏教の精神に通じている所があります。お祭りやお神楽など様々な祭事・神事は、人々が神様・仏様(超VIP)に感謝を捧げる気持ちの表れを、「おもてなし」の心で接待することなのです。誠心誠意、心を籠めて神様に来ていただき、上機嫌になってお帰りになっていただく・・・丁寧におもてなしされた神様は、上機嫌で我々に福をもたらしていただけたり、悪疫から身を守っていただけたりするのです。なので神道や仏教では、「お客様は神様です」ではなく「神様はお客様です」となるのだと思います。
おもてなしの精神は、御守りにも表現されています。神職者や僧侶の方が神様・仏様をおもてなしし、その御神威・御威光を最大限に引き出し、更に参拝者の幸せを願って御守りに籠めるからです。そうして奉製された御守りは、神職者・僧侶の「おもてなし」の結晶の証と言えるのです。御守りにとって見えない所=内符にこそ彼らの真意(神威)が宿っているのです。
守袋は、神様仏様または神社仏閣のもつアイデンティティの表現の場です。アイデンティティの表現に試行錯誤されるのは勿論その社寺の神職者や僧侶で、ある意味その人達の考える神様仏様のアイデンティティとも言えます。
神様仏様の御神威と願意をどれだけうまく表現し、その神社寺院ならではの特徴を活かした守袋のデザインとなるかは、神職者や僧侶の方と奉製会社の方とのセンスや力量、想いなどによって大きく左右されます。
そうして奉製された守袋は内符を納められて、御霊入れをされて授与所・社務所に並べられるわけです。よって授与所や社務所は、神様仏様がもつ御神威のプレゼンテーションの場にもなるわけです。いかに御神威を感じていただき、気に入ってお持ち帰りいただくか…。そしてその人が身につけることで、様々な場でその御守りが他の人に目に留めてもらえるか(布教ツールもしくは宣伝ツールに近い)・・・。そこに守袋のデザインの意味があります。ただ良いデザインではなく、内符を活かすために更なる付加価値をつけて、より魅力的に分かり易く、親近感や安心感を感じていただくためのモノが守袋なのです。
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